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益子町の城館

名称(別名) 概要 備考
小宅城 天文年間(1532〜55)芳賀氏家臣小宅氏が築城、宇都宮氏滅亡とともに廃城との説あり -
矢島城 長久年間(1040〜44)に七井刑部大夫頼治が築城
永禄2年(1559)13代刑部大夫綱代の時、益子城主勝宗に攻められ落城し、綱代は多田羅館に移った。
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七井城 天正4年(1579)七井勝忠の築城
天正14年(1589)主家宇都宮氏と合戦し廃城
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館宮坂城
(館坂城)
大沢和泉守の築城と伝わる -
益子古館 鎌倉時代中期頃、益子氏が益子古城よりここに移り築城したものと思われる
天正17年(1589)益子氏滅亡とともに廃城
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益子古城
(根古屋城)
康平年間(1058〜65)紀権守正隆の築城と伝わる
(一説には平安時代末・鎌倉初期)
益子氏初期のお城
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石並城 嘉元2年(1304)佐藤継信七世孫、佐藤備中守が築城と伝わる
天正17年(1589)益子氏滅亡とともに廃城
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西明寺城
(高館城)
(白米城)
鎌倉時代に益子古城の詰城として築かれたらしい
益子古館移転後も使用され、天正18年(1590)廃城
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山本城 大永年間(1521〜28)高塩伊勢守政平が築城
天正11年(1583)水谷政高らに攻められ廃城
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田野城 永禄3年(1560)笠間左衛門尉時朝15代孫、羽石内蔵介時政が築城
天正13年(1585)水谷正村に攻められ落城
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report:minaka  参考資料
作成日:2003/09/15  最終改訂日:2009/10/21