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茂木町の城館

名称(別名) 概要 備考
千本城
(須藤城)
(教ヶ岡城)
建久8年(1197)千本十郎為隆が築城
那須氏一門須藤千本氏のお城だったが、後絶えて茂木千本氏のお城となる
天正13年(1585)廃城
県指定史跡
草の館 須藤為隆の築城で築城後すぐ那須氏に攻められた為、千本に移ったと伝えられる -
九石城
(龍返城)
建久8年(1197)那須太郎資隆の十男、千本十郎為隆が築いたお城と伝えられる(千本氏の祖)
約四年しか居城しなかったらしい、その後は支城として機能?
遺構はよくわかりません。
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小家台城 天喜年間(1053〜58)源義家が築いたと伝えられる -
上菅又館 不明 -
北古屋城 佐竹氏の出城との伝承あり -
茂木城
(桔梗城)
建久年間(1190〜99)茂木三郎知基が築城
天正年間(1573〜92)16代治良のとき北条氏政に攻められ一時落城、その後佐竹義重により奪還され須田美濃守治則が入城した。
慶長15年(1610)細川興元が城主となり明治維新まで続いた
町指定史跡
若宮館 不明 -
北高岡城 不明 -
城峰城
(和久城)
築城年代不明
兵部卿和久某の築城といい、延文4年(1359)結城氏と戦って敗れ廃城と伝わる
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木幡城
(用賀城)
築城年代不明
飯村内記築城と伝わる
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羽石城 不明 -
平沢館 兵部卿和久氏家臣、平沢某の居館と伝わる -
金山館 兵部卿和久氏家臣、金山太郎の居館と伝わる -
飯村城 明徳3年(1392)飯村備前守則宗が築城と伝わる
益子氏滅亡の際廃城
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小貫城 芳賀駿河守高家の築城と伝わる
永正4年(1507)小貫信高の時、笠間城主右高綱親に攻められ廃城
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report:minaka  参考資料
作成日:2003/09/15  最終改訂日:2009/10/24