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那須町の城館

名称(別名) 概要 備考
芦野館 鎌倉初期築かれたとみられる。
芦野氏初期の拠点
現在畑になってますが、方形館の痕跡がわかる程度には残ってます。
町指定史跡
芦野城
(芦野陣屋)
(桜ヶ城)
天文年間(1532〜55)芦野資興が築城したとも、天正18年(1590)芦野盛泰が築城したとも言われている。
公園化されていて遺構もきれいに残っています。麓には資料館あり。
町指定史跡
館山城 応永年間(1393〜1428)頃、芦野館から移ったと言われる。
天文年間に芦野城に移るまで、芦野氏の拠点として機能した。
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ニ岐ヶ峰城
(要害山)
南北朝時代に新田氏の支族が築城したとも、鎌倉時代に芳賀高俊の次男重広(高直の弟)が那須頼資に仕え大田原の地を領し、その子重行が簑沢郷に住したとも言われる。 町指定史跡
刑部郭 芦野氏家臣、室越氏の砦とみられる。 -
伊王野城
(霞ヶ城)
那須支族伊王野氏の拠点。
室町中期、長享以前に築かれたと思われる
遺構の残存状態は良好です。
町指定史跡
伊王野館 延応元年(1239)伊王野氏の祖、次郎左衛門尉資長が那須氏から分地し築いたと言われる。
伊王野城に移るまで伊王野氏の拠点だった。
土塁の一部が残る程度です
町指定史跡
備中郭館
(備中平)
戦国期末、伊王野氏重臣薄葉備中守の居館と伝わる。
寛永11年(1634)伊王野氏改易の頃まで使用された。
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沼野井館
(堀之内)
鎌倉時代、沼野井氏が築いたと伝わる。 -
長者平館
(鮎瀬館)
鮎瀬氏が築き、江戸初期伊王野へ移住するまで使用された。 -
芋渕要害 鎌倉時代初期、芋渕三郎幹隆(余一宗隆の兄)が本家から分知して築いたと伝わる。 -
簗瀬要害 室町時代、芋渕氏後裔がこの地に移り、簗瀬氏となる。 -
稲沢館
(堀之内)
(土手の内)
鎌倉時代、伊王野次郎資長の弟五郎資家が築城したと思われる。
以後稲沢氏を名乗り代々住した。
町指定史跡

report:minaka  参考資料
作成日:2003/12/30  最終改訂日:2009/10/24