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那須烏山市の城館

名称(別名) 概要 備考
小堀館
(上川井館)
(小堀城)
那須友家築城、永正13年(1516)頃上川井出雲守資兼が住したと伝わる。
大永元年(1521)岩城・結城連合軍が烏山城を攻めた際落城。
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堀之内館
(姫屋敷)
下川井城の前身が付城と考えられる。 -
下川井城
(城山)
那須友家築城、下川井氏(川井氏)が代々拠点とした。
天正18年(1590)廃城
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小志鳥城
(館之内)
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塙古館
(方館)
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戸田館 - -
熊田館 貞応年間(1222〜24)那須光資次男、光保が築城。
天正18年(1590)那須氏改易により廃す。
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入江野城 永禄6年(1563)佐久山泰秀が築城、入江氏を称し代々拠点とした。
天正14年(1586)泰清の時、那須資晴に滅ぼされ廃城。
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月次館 那須氏初期に支族が築城。須釜氏などが住し、天正期には月次氏が居住。
天正18年(1590)那須氏改易に伴い廃す。
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高瀬館
(古館)
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小塙館
(御屋敷)
(御館)
(森田陣屋)
慶長5年(1600)大田原分知出雲守増清が築き、明治維新まで使用された。 -
根小屋城
(かとべ城)
(要害)
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高館城 築城者・時期不明。
ゴルフ場建設により南方の遺構が多少破壊されていますが、まあまあよく残っています。
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森田城
(今宮台城)
(竜崖城)
文治3年(1187)那須資隆の長男(森田)太郎光隆が築城、代々拠点とした。
遺構の残存状態はいいです。
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新地館 - -
根小屋城
(要害)
応永22年(1415)頃、那須氏支族、大桶備前守義康が築城、代々拠点とした。
天正18年(1590)資憲の時、那須氏改易に伴い廃城。
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滝田館 文治3年(1187)那須資隆六男(滝田)六郎實隆が築き、代々拠点とした。
寛永5年(1628)まで機能したらしい。
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神長北要害 築城者・時期不明。
遺構は綺麗に残っています。
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興野館
(興野城)
(外城)
(味城)
文明4年(1472)那須資持次男(興野)持隆築城、代々拠点とする。
天正18年(1590)那須氏改易により廃城。
北側の堀、土塁が若干残っています。
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烏山城
(臥牛城)
応永24年(1417)下那須氏初代、那須五郎資重が稲積城より移り築城。代々拠点とした。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際の遅参がもとで、没収されたり再興したりしたが結局没収され、その後城主はたびたび替わった。
なんと、織田信雄が城主だったことも・・・大久保氏のとき廃藩置県をむかえる。
遺構は良好に残っています。
市指定史跡
神長南要害 築城者・時期不明。
遺構は一応残っています。
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塙要害
(ゆうがい)
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平井館
(平井城)
応永年間(1394〜1428)頃、本庄三河守広泰(盛泰ともいわれる)築城と伝わる。 -
大木須城
(大檀坊)
明応年間(1492〜1501)頃、那須資實の次男民部大輔頼實が築城。
天文20年(1551)千本城で主君高資と共に謀殺され廃城。
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稲積城
(御城)
(中城)
(外城)
(下館)
天仁2年(1109)那須氏2代資道築城と伝わる。
上杉禅秀の乱(1416)の前頃から一族間で争いが起こり、那須家が上下に分裂、弟資重が一時拠るが応永24年(1417)烏山に移り、その後本庄氏が入城した。
略測図を元にまわれば、当時の様子がよくわかる程度には残っています。
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向田城
(仲城)
向田氏の拠点とみられる。 -
高館城 - -
大将古家要害 頼朝伝説がある。 -

report:minaka  参考資料
作成日:2003/12/30  最終改訂日:2009/10/22