日光市の城館
名称(別名) | 概要 | 備考 |
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倉ヶ崎城 | 築城者、年代共に不明。 天正年間に宇都宮国綱が修築して再興、大門氏が入城したようです。 城址がどこだったかは、正確には不明らしいですが、茶臼山山頂に遺構らしきものがあり、さらに毘沙門山方面に歩くと帯郭らしきものや、堀切りの跡らしきものが確認できます。 |
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轟城 | 畠山氏の城と伝わる。 | 市指定遺跡 |
古山城 (小山城) |
和田義盛の三男朝比奈三郎義秀が、北条方の追及を逃れ常陸国より轟城の畠山重慶を頼ってこの山に城を築いたとの伝承がある。 遺構もそこそこ残っています。 |
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大沢御殿 | 江戸時代に将軍が日光社参の途中休息する為に造られた御殿。 天正年間に塩谷氏の家臣、大沢隼人が築いたと伝わる大沢城を利用して御殿を築いた可能性もある。 |
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寅巳城 | 源三位頼政の城跡とか神山監物の城跡とも伝わる。 | - |
板橋城 | 天正年間(1532〜55)宇都宮氏の一族、遊城坊綱清が築いたとされるお城。 後北条氏の力を背景に壬生氏が攻め落とし、板橋将監親棟が入城。 後北条氏滅亡後は松平一生が城主となったがまもなく廃城。 麓には館跡があります。 |
市指定遺跡 |
猪倉城 | 大永年間(1521〜28)鹿沼右衛門築城説と正応年間(1288〜93)鹿沼権三郎入道教阿築城説がある。 | 市指定遺跡 |
小倉城 | 延徳年間(1489〜92)桜本院順海坊昌安が築き、天文9年(1540)に昌安が討たれ廃城と伝わるが、同山にある八方館が天正13年(1585)に宇都宮・佐竹氏連合軍に攻められたとの伝えもあり、壬生氏が利用していた可能性が高い | 市指定遺跡 |
鶴ヶ渕城 | 永禄12年(1569)長沼宗国の築城。 天正6年(1578)宇都宮氏家臣大沢助次郎が占拠、慶長5年(1600)には上杉氏旗下、田島の大国氏家臣栗林肥前守が拠ったと伝わる。 |
町指定史跡 |
芹沢城 | 遺構消滅 | - |
柄倉城 | 柏木縫之助が築城したと伝わる。 遺構消滅 |
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高徳城 | 高徳仙左衛門の先祖が築城したと伝わる。 | - |
report:minaka 参考資料
作成日:2003/12/28 最終改訂日:2009/10/21