トップページ >下野の城館 >小山市の城館

小山市の城館

名称(別名) 概要 備考
御城
(小薬城)
梶原氏の居館跡。
東にある称念寺が梶原氏の菩提寺で関係文書を所蔵している。
かつて掘だったらしい水路等が多少あるが、明確な遺構は残っていません。
石塚館 粟宮氏の一族、石塚氏の居館と考えられている。
小山城
(祇園城)
小山氏が本城(鷲城)の支城として築いた城と思われる。
康暦2年(1380)〜永徳2年(1380)の義政の乱で小山氏滅亡後、結城氏より泰朝を迎えて小山氏を再興するが天正期に後北条氏に従い天正18年(1590)滅亡。
慶長12年〜19年(1607〜14)本多正純が居城としたが、宇都宮に転封後廃城。
城山公園として残っています。遺構も綺麗に残っていて見ごたえがあります。
国指定史跡
長福城
(長福寺城)
(新城)
義政の乱に新城の名で出てくる城で、祇園城・鷲城の戦時の繋ぎの城として機能したのではないかと考えられています。
鷲城 小山氏の居城。
城跡は現在、鷲神社になってます。思川東岸に建ち、西側は断崖絶壁、遺構も結構残ってます。
国指定史跡
曲輪
(神鳥谷曲輪)
(宿城)
平安末期政光が築いた居館で、鎌倉初期にかけて使われたとの話がある。
かなり大きな居館跡だったらしいが、現在はJRの線路脇にちょっとだけ土塁が残っているだけです。
中久喜城
(岩壺城)
(栃井城)
(亀城)
小山義政の乱の際、岩壺城としてあらわれる城と伝わる。
義政の乱以降は結城氏の管轄になる。
天正18年〜慶長6年、結城晴朝がここに隠居した。
網戸城 結城氏の支族、網戸氏の城と伝わる。
塚田館 小山長村の三男小山宗光の居館と伝わる。
塚崎と田間の地を領したことから塚田氏を称し代々在したとのことです。
小谷城
(小谷館)
保安元年(1120)小谷三郎俊景の築城と伝わる。
その後小山氏の支城として機能し、天正18年(1590)小山氏滅亡と共に廃城。

report:minaka  参考資料
作成日:2003/12/13  最終改訂日:2009/09/29