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さくら市の城館

名称(別名) 概要 備考
御前館
(馬場城)
(増渕城)
(御前城)
文治年間(1185〜90)、馬場小次郎築城と伝わる。
南北朝には氏家中務、戦国時代には船生石茂四郎が居城と戦記類にあり、
また、氏家氏発祥の地とする説もある。
氏家小学校東側に多少遺構が残ってます。
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勝山城
(氏家城)
建久年間(1190〜99)頃、氏家五郎兵衛尉公頼築城と伝わる。
南北朝頃からは芳賀氏の勢力下にはいり、芳賀高家の子高清が入城、以来慶長2年(1597)宇都宮氏改易時まで存続した。
公園化されています。
市指定史跡
鷲宿城 応永年間(1394〜1427)塩谷朝宗築城、その子孫が代々居城したと伝わる。
後に岡本讃岐守義保が拠った事もある。
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金枝城
(城山)
正平年間(1346〜50)頃、那須資藤四男隆経が築城し金枝備中守と称した。
子孫が代々居城し、天正18年に廃城。
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鹿子畑館 鹿子畑氏の居城。
天文11年(1542)大関氏に仕え余瀬に移り廃城。
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喜連川城
(倉ヶ崎城)
文治2年(1186)塩谷惟広築城と伝わるが、それは麓の館であると思われる。
塩谷氏17代(天正18年)まで居城した。
堀切は明確に残ってます
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喜連川館
(喜連川陣屋)
塩谷氏が初期に入った地と思われる。
文禄2年(1593)足利頼氏が入城し、代々明治維新まで続く。
模擬門が建っているが、遺構は確認出来ませんでした。
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葛城城 長禄元年(1457)塩谷安房守惟延が築城したと伝わる。
大永4年(1524)塩谷氏・那須氏の抗争により廃城。
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report:minaka  参考資料
作成日:2003/12/28  最終改訂日:2009/10/22