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佐野市の城館

名称(別名) 概要 備考
大門館 -
横小路城
(大門城)
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唐沢山城
(根小屋城)
(栃本城)
(牛が城)
天慶3年(940)藤原秀郷築城と伝わる。
佐野氏累代の拠点。
現在自然公園となっていて、本丸跡には唐沢山神社が建ってます。
遺構はかなり広域に残っています。
赤見城
(町屋敷)
(町屋城)
安元元年(1175)藤姓足利氏、足利俊綱が築城。
藤姓足利氏没落後は源義仲の子、岩崎氏基の家臣が在城したり、関東管領足利氏の領地になったり長尾氏に落とされたり、佐野氏の領地になったりしている。本丸は幼稚園となっているが、中心部の遺構は結構残っています。
市指定遺跡
大網山城 -
小中城 -
尾形山城 文明2年(1470)佐野越前守師綱が築城、天正年間(1573〜92)まで存続したと伝わる。
大貫氏館 天正年間(1573〜92)大貫越中守政宗が築城、慶長7年(1612)まで存続したと伝わる。
小倉城 嘉元元年(1303)小倉刑部義成が築城、戦国末まで存続したと伝わる。
堀之内城 -
堀米城 鎌倉時代、堀籠宮内左衛門尉源有元が築城、南北朝まで存続したと伝わる。
佐野城
(春日城)
(姥ヶ城)
慶長7年(1602)佐野信吉が唐沢山城より移転し築城。
築城途中(12年後)に佐野氏改易にともない廃城。
現在公園になってます。
市指定史跡
黒袴藤岡城 文明13年(1481)藤岡佐渡守秀行が築城、天正13年(1585)まで存続したと伝わる。
免鳥城
(面鳥城)
(妻鳥城)
大永五年(1525)免鳥山城守義昌の築城と伝えられる。
佐野氏と長尾氏の激戦地。
最終的には佐野氏の滅亡とともに廃城。
阿曽沼城 寿永元年(1282)阿曽沼四郎廣綱の築城。
阿曽沼氏は藤姓足利氏の分家らしい。
現在は浅沼神社が建っていて、東側に辛うじて掘跡が残っています。
鐙塚阿曽沼城 文明3年(1471)阿曽沼弾正が築城、戦国末期まで存続したと伝わる。
植野城 文政十一年(1828)堀田正敦が築き佐野城と称したとのことです。廃藩置県により、わずか43年で廃城。
現在近くの民家の隅にわずかに土塁が残るのみです。
羽田城
(亀ヶ井館?)
鎌倉中期、足利殖田太郎又は亀田伊賀守政綱が築城、文明年間(1469〜87)まで存続したと伝わる。
高橋城
(野田城)
(野田の要害)
鎌倉時代、野田氏の築城と思われる。
椿田城 永禄三年(1560)福地出羽守昌寧(寧久)が築城。
遺構は、方形の堀が残っています、特に西側は良好です。
現在は民家になっています。
市指定史跡
蓬山城
(忍城)
平安時代に藤原秀郷が築城、秀郷の弟藤四郎永郷・藤五郎興郷・藤六郎友郷らが交代で居城したと伝わる。
白岩山城 -
小野城
(小野高吉城)
(根小屋城)
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長谷場城
(蓬山寄居城)
藤原秀綱の築城と伝わる。
毛野城
(神馬城)
神馬七郎忠綱が築城、戦国時代まで存続したと伝わる。
浅利山城
(阿浅利城)
(閑馬城)
宝徳3年(1451)神馬七郎忠綱の子、忠光の築城と伝わる。
梅園館
(梅曾根城)
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岩崎城 -
須花城
(小坂城)
建武2年(1335)佐野国綱の築城と伝わる。
御所の入館 -
鳥居戸城 鎌倉末期〜室町初期に鳥居戸次郎が築城し天正年間(1573〜1592)頃まで存続したと伝わる。
鰻山城 文治2年(1186)戸奈良五郎宗綱が築城したと伝わる。
遺構も結構綺麗に残っています。
小見城 永正年間(1504〜12)頃、小見次郎是綱の築城と伝わる。
興聖寺城
(清水城)
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木浦原城
(黄平原城)
永禄年間(1558〜69)頃、遠藤駿河守が築城し天正年間(1573〜91)頃まで存続したと伝わる。
阿土山城 天慶年間(938〜46)頃、安戸純門が築城し戦国末期天徳寺宝衍(了伯)の時まで存続したと伝わる。
豊代城 佐野源左衛門常世の居館跡ともいわれる。
仙賀城 太田行光の築城と伝わる。
黒仁田城 寛治年間(1087〜93)頃、太田行高が築城したと伝わる。
中村城 元弘元年(1331)中村景春が築城し、天正11年(1583)まで存続したと伝わる。

report:minaka  参考資料
作成日:2003/12/31  最終改訂日:2009/09/29