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宇都宮市の城館

名称(別名) 概要 備考
篠井城
(大橋館)
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石那田館
(石那田城)
天正期(1573〜92)、宇都宮家臣小池内蔵助の館と伝わる。
遺構は若干残っている程度です。
掘の内城
(館)
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徳次郎城 戦国期、宇都宮国綱の家臣新田徳次郎昌言の居城と伝わる。
林となり遺構はきれいに残っています。
鎌堀館 歴史は不明
水田と化していて、遺構は堀跡?が残っているのみです。
田中城
(館)
宇都宮氏家臣、田中氏の館
高橋城
(館)
(藤本館)
宇都宮氏家臣、高橋氏の館
個人宅になっていて、館を取り巻く堀がほぼ一周きれいに残っています。
大堀城
(館)
宇都宮氏家臣、半田氏の館
個人宅になっています。
遺構は、北側の堀がきれいに残っています
下横倉城 宇都宮氏家臣、横倉氏の城と伝えられる
岩原城
(館)
宇都宮氏家臣、高橋氏の館
結構立派な土塁と堀が断片的に残っています。
高橋城 -
北ノ館 歴史は不明
現在個人宅となっていますが、堀・土塁が良好に残っています。
多気山城 康平6年(1063)宇都宮宗円が築いたと伝わる
天正4年(1576)に大改修が行われ、後北条氏の侵攻に備えたと思われる。
慶長2年(1597)宇都宮氏改易とともに廃城。
広範囲に遺構が残っています。
狸穴城 -
羽下館 宇都宮宗円、宗綱父子が居住したとの伝承がある
中城
(館)
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北原城
(館)
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戸祭城
(館)
宇都宮氏家臣、戸祭氏の館
平出城 宇都宮氏家臣、鈴木氏・平出氏・平石氏などが在城したと伝わる。
淡路城 宇都宮氏家臣、直井淡路守の居城と伝わる。
宇都宮城
(唐糸城)
(亀ヶ丘城)
(亀井城)
宇都宮氏歴代の居城
慶長2年(1597)宇都宮氏改易後は、城主がたびたび変わりました。
現在公園になっています。遺構は見る影もありませんでしたが、発掘調査元に土塁・櫓が復元されました。
飛山城 清党(清原氏)の城
後に宇都宮氏一門となり芳賀氏を名乗る。
発掘調査を行い、史跡公園として整備されました。
近くに資料館もあります。
国指定史跡
石井城 -
犬飼城
(根古屋城)
(犬養城)
小山氏の支城との伝承や、後北条氏の家臣が入城したとの伝承があるが、宇都宮氏西南の有力支城とも考えられる。
遺構はきれいに残っています。
江曽島城
(ひさご城)
宇都宮氏家臣、江曽島氏の城と伝えられる。
現在は駐車場となってます。
東川田城
(館)
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猿山城
(館)
猿山大学の城と伝わる。
結城氏に備えた宇都宮氏の支城?
広域に遺構が残ってして、特に西から南へかけての堀・土塁はみごとです。
桑島城
(館)
文明年間(1469〜87)頃、宇都宮頼綱の末孫越中守四郎兵衛尉綱親の四男九郎兵衛尉が築城し、その子孫が桑島氏を名乗ったと伝わる。
宇都宮氏改易時まで存続。城域の大部分は畑になっていて、遺構は殆ど残っていません。
上籠谷城
(館)
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樋口城
(館)
築城年代ははっきりしないが貞応元年には樋口主計頭が城主であったと言う伝承があるそうです。
個人宅となっていて、南西角に土塁・堀が辛うじて残っています。
横田城
(館)
(長州館)
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刑部城
(館)
宇都宮氏家臣、横田(刑部)氏の城館
個人宅となっていて、郭を囲む堀と土塁が西側以外は残っています。
また、複数の郭があったらしく、付近を歩くとそれらしい痕跡が結構あります。
市指定遺跡
茂原城
(館)
(裳原城)
宇都宮氏家臣、茂原遠江守家次の居館と伝えられる。
ユウカヘ山城
(冬室城−本館)
藤原諸時の築城とか、延喜年間(901〜22)藤原利仁の居城とか伝えられる。
遺構は山頂付近に郭があり、北側の虎口から続く尾根の堀切も遺構でしょうが、その他山のいたるところに遺構かどうか不明ですが郭らしき削平地がある。
西山城
(冬室城−出城)
冬室城−本館(ユウカヘ山城)の南丘陵にある出城?
遺構は堀に折が入っていたり、櫓台らしき跡もあり、結構技巧的な構造になっているので、戦国末期も使用された城のように思われます。
城山城 -
中里城 鎌倉時代、氏家公頼の二男高信が築城し中里氏を名乗った。
逆面城 宇都宮氏家臣、逆面氏の城 市指定史跡
下ケ橋館 築城時期等不明
戦国時代末期、下ヶ橋豊前守の居館であったと伝わる
慶長2年(1597)廃館
岡本刑部館 岡本刑部の築城と伝わる。
岡本城 室町時代初期に岡本信濃守富高が築城
慶長2年(1597)廃城
ほとんどの遺構は畑になっています。北東の本丸付近は結構残ってます。
市指定史跡

report:minaka  参考資料
作成日:2003/09/21  最終改訂日:2009/09/26